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大王・妃と皇子

人生終活的資料整理中に出て来た資料:20年余が経過した!

統合プログラム A5版224頁(左) 開会式・オープニングフェスティバル 2002/10/12 A4版10頁(右)の表紙

統合プログラム 16頁

同製作過程では個人名は出ていなかったが、何と!

最終本に[大谷恭一(演劇:大王役)]と明記 

2002年10月14日(月)

​日本海新聞見開き頁で特集記事 

 

大王の“演劇的”表情・・・

 

鳥取の地名伝説:天女伝説

「鳥、とる・・・この地を とっとり と名付ける!」

オーケストラが次の演奏を始める間の数秒、

歌舞伎にある“大見えを切る”頭を振り、両手を上げて、固まる立ち姿をしての、名づけの大声!

客席からは拍手が・・・ 

2002年度は(副院長格・初代の)医療局長を拝命した年:国民文化祭は無縁だった。

が、9月になって、企画部長が自室に面会にこられた。用件は「代役出演!」 関係者が小生が適任と推薦している・・・。

1998年12月20日(日)に、同じ梨花ホールで、県が企画した県民ミュージカル【茜~飛天】に仙人(ヤツミミ)役で代役出演した実績。

同企画は前年の師走に日本海新聞の記事で見た出演者等の募集記事。中病で多用の日々にあって、好きなミュージカルゆえ、出演したい願いはあったが、非現実だった。が、マラソンに例えると、折り返し地点辺りでの代役出演依頼がわが彼女を通じて入って来た。(内心、代役なら、自身が練習に出れる日程で受ければ良いと)OKした。が、数日後、彼女が「あなた大変よ!台本の最初に名前が出ているヤツミミ役・・・」と。結果、舞台回し役で、男性で最も台詞が多く、ソロで歌うのが4曲(と言っても短くて。音域の狭い、自身評価で面白くなかったが・・・)! オーディションで役を得たのは中学教師で、新年度(1998年度)中3担任となり、多忙で、役を辞した経緯だった(らしい)!彼の音域が狭いことで、作曲家Nさんが曲を書いた由。

開演が近くなって、Nさんが練習を見に来られ、小生の音域(幅が広く強くも歌える)を活かして、「書き直そうか」との提案!ヤ止めて、新たに練習する時間的余裕はないとして、変更なしとした。リハーサルで、Nさんが「音程が下がり易い・・・」と。早く、遠慮せずに指摘してくれたら良いのに・・・。で、本番の録画をTVで視聴したら、聴けたモノではない!冷感!流石、素人!

が、1999年1月に米子・ビッグシップでの再演後、当時の西尾知事が秘書を通じて、舞台上で小生とのツーショット写真を所望された。秘書談:知事は「しっかり演じて、歌える県職員がいたとは・・・」との思いを発言された由でした。

前置きが、ツイながくなったが、1998年の【茜~飛天】で、都の大君役を担われたのが、鳥取演劇界の大御所(と理解していた方)で、2002年の国民文化祭【交響詩とっとり】には大王役。が、おそらくは、血圧が高くなり、間近になって、出演を辞退され、代役は「大谷先生が適任」と推薦され、周囲の関係者も納得された(のでしょう)。

それにしても、不正確ですが、8月下旬になっての代役出演依頼でした。

​文化庁主催、皇太子殿下・皇太子妃のご臨席を得てのオープニングフェスティバルであり、NHKエンタープライズが全体統括を担っていました。各要素がバラバラでの舞台練習では、大王、妃と皇子の振り付け指導は皆無!で、妃役の女性が懸念を抱く中、「止められたり、修正されたら変えれば良い」として、3人の立ち位置、振り付け等も、こなしました。

リハーサルで、オケピットにオーケストラが入り、指揮者の指揮棒で奏でられる流れの中で、既述の「とっとりと名付ける!」の台詞の後の音楽が始まるまでの“間”に、歌舞伎での大見得を切る所作をすることを、この際には流石に、統括責任者に声をかけ(初めてで、最後!)、「ア!そのようにお願いします」と、許可を得てのことでした。 

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20年余が経過した2022年12月齢72歳余の身、本音で、ミュージカル・演劇の代役出演依頼を期待しているのです。(笑)

常、日頃から、“歌う小児科医”として、ミュージカル的オツムを維持し、劇団四季の発声法・母音法を実践し、かつ、(カヤックが主目的ですが、)体幹筋群などを鍛えつつの日々です。

12/18(日)ザ・シンフォニーホールで、

本頁の冒頭に配置しましたが、マサカ、片山知事からの感謝状が届くとは・・・!人生、面白い!いや、「面白かった、わが人生!」

齢800歳の仙人 ヤツミミ はコチラ・・・

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